20年くらい付き合いのある友人がいます。
一緒に笑い、一緒に悪巧みし、一緒に怒られ、一緒に泣いた。
あいつが警察のお世話になれば、必ず隣りに私がいたし
私が校長室に親子共々呼び出されたら、必ずあいつが親子で次に順番待ってた。
小学校から高校まで一緒で、田舎で生徒数も少なかった地元で
同じクラスになったのは小学校1、2年の時のみ。
二人を一緒にしちゃいけないって
近隣の学校でリストが回るくらいの悪ガキでした。
高校卒業後は、お互い地元を離れて頻繁に会えなくなったけど、3日に一回電話する。
“100万円もらったら”とか“芸能人と結婚するなら誰がいいか”とか
そんな高校生のような実りのない話しを飽きることなくする。
そんな友人の事を今日は書いてみたいと思います。
彼女はとにかく良く食べる。
そして、ダイエット!ダイエット!と繰り返している。
だけど持ち前の意志の弱さでいつも食べ物の誘惑に負ける。
時々東京の私の家へ遊びに来るのですが
その度にこっちでしか食べられないものを食べたがる。
限界まで食べて、お腹をぱんぱんにした友人が言った言葉が忘れられない。
『食べたいものがありすぎて時間が足りない』
もうそれお前のキャッチコピーでいいんじゃないかな?
またある日の会話で、
最近の少女漫画について話していた時。
最近の少女漫画のノリってどうよ。って話になりまして
男の顔がみんな似てるとか、主人公の女子の顔が同じとか
批判的な事を言ってたんです。
ザ・少女漫画ってリアルタイムの中高生が読むから
今の彼女達のノリで描いてあるわけですよね。
その時流行ってる言葉とか、絵とか、アイテムとか。
少女漫画は生ものですから。
そういうのにもう25にもなると若干ついていけねーよ。
って二人して愚痴ってた。
友人がそこで一言。
『時代を追う漫画じゃなくて時代に追われる漫画を描けよ!』
かっこよすぎるだろう。
少女漫画界に一石を投じる気?
そして、これはつい最近の話。
突然友人が
「ねえ、悩みある?」って聞いてきました。
「は?あるよ。普通に」と答えますと
「あー、やっぱそうかー!普通あるもんなだなぁ」
「そら、あるでしょ。なんで?」
「いや、私ないから普通の人はだいたいないもんだと思ってた」
「…お前すげーよ」
「え?そう?だからさー、みんなもそうだと思ってバイト先の人に何人か聞いてみたんだよ。
あのー、悩みってあります?って。そしたら、は?あるし。って即答されたから、
じゃ、教えて下さい。って言ったら、はぁ?やだよ。ってみんな言うんだよね。
なんで?みんな言えないようなことがあるわけ?
つか、悩みってあるのが当たり前みたいでびっくり。」
時々こうやって、私の想像をぶっちぎって来るから
いや、お前がおかしい。楽天的すぎる。って諭すと
「や、だってね。
普通に幸せだもん。両親も健在で多分私の事愛してくれてて、
私の周りの人で、私が大事にしてる人は多分私のこと大事にしてくれてて、
好きな時に漫画読めて、テレビ見れて飯食えるし。
金もないし、恋もしてねーけど、それで毎晩枕を濡らすなんてこたぁないし。
それに、何か未来は絶対幸せだって思うし。私の家族も友人の未来もきっと幸せだと思うし。
どんな悪い奴の未来だって、きっと明るいし。」
そんなことをさらっと言う。
仕事に生きがいなんて求めていない。
自分がどんなに非生産的な毎日を送ろうが、それに胸を痛めることもない。
周りが結婚したり、仕事に生きがいを感じてく中で
彼女は月に2回は仕事をずる休みする。
正直結構ダメな奴だと思う。
だけど、なんなの。この安定感。
人の事を元気にさせる力だけは規格外。
困った友達を見たら、迷うことなく手を差し伸べる。
ずっと変わらない人っていうのは彼女みたいな人の事を言う。
願わくば、その力をどうか何かのために
役立てて欲しいと心から思っているのです。
あ。急に思い出したぞ。
むかしむかしのお話!
今日はそんな私の超個人的な思い出を
本当に突然に書いていこうと思います。
誰しも思い出の味の一つや二つあると思います。
そんな思い出を
一杯のかけそば風に語っていきたいと思います。
(一杯のかけそば読んだことねぇ)
私には忘れられない味があります。
それはもう二度と味わうことのできないもの。
私が通っていた幼稚園には畑がありました。
そこにはサツマイモとかなすびとか色々植えてあって、
季節になれば園児達で収穫してそれを食べることがありました。
ある日のこと。
たまねぎをみんなで収穫しようという企画がありました。
私は活発なお子さんだったので
もう朝からテンションが高い高い。
男の子に混じってガンガン収穫してやらぁ。
って感じで挑んだたまねぎ掘り。
私が豪快に掘るもんだから隣にいたこずえちゃんは
全身に土をかぶって泣いていた。
そんなんしらねー。
って感じで夢中で掘っていると、
病弱でよく幼稚園を休むななちゃんが
パジャマのまま幼稚園へ登園してきた。
彼女はこの世の終わりみたいな沈んだ青白い顔で登場し、
うらめしそうにたまねぎ収穫祭を眺めていた。
かいわいそうに。
そう思っていたら
何か彼女がしきりに右腕を気にしている。
気になったけど、
それより私の心はたまねぎに釘付けだったので、
すぐそんな事は忘れてたまねぎを堀った。
あらかた掘り終えると
先生が「これを使ってみそ汁を作ってくるのでみんな待っててね」
って笑顔で言った。
すごく楽しみで、
私はワクワクしながら待った。
すると目の前をななちゃんがとぼとぼ歩いてる。
あいかわらず右腕を気にしながら。
「ねぇ、腕痛いの?」って私が聞いたら
「抜けたの」
って悲しそうに言った。
えぇ?!
当時幼稚園児の私に腕が抜けるなんてファンタジーみたいな出来事だった。
関節なんて存在を知らず、
腕が抜ける=腕がとれるってことだと認識。
「え?え?どうして?それ大丈夫なの?治るの?」
「うん…お父さんが引っ張って抜けたの。でも治るよ」
「お、お、おとーさん(裏返る声)?!お父さんがそんなことするの?!
引っ張ったら抜けるの?幼稚園来てもいいの?!」
「今日はたまねぎ掘る日でしょ。どうしても行きたかったから…」
たまねぎ掘りどころではないじゃないか。
彼女のたまねぎにかける思い。
私なんかの比じゃない。
子供心に彼女の過酷な家庭環境を想像し
泣きそうになった。
それと同時に
抜けた右腕は今どうなってるのか無性に気になった。
空気なんて読めない6歳児。
見たところ右腕はくっついているように見える。
うん。私と大差ないヴィジュアル。
でも抜けていると言う。
腕が抜ける=腕がとれる
なので
・・・・・・・・・・・・
わかった!!!!
偽物の腕だ!!!
※当時義手の存在をはっきり認識はしていなかったが
なんとなく偽物の腕をくっつけているんだと勝手に思った。
だったら取ってみよう。
取った腕を見せてもらおう。
「ななちゃん」
私は呼ぶと同時に
思いっきり彼女の右腕をひっぱった。
グイッ
「ぃぃいたいっ!!いたい!いたい!」
びっくりした。
ななちゃんは私の100倍くらいびっくりした。
あまりの絶叫に先生が飛んできた。
頭が真っ白な私と真っ赤な顔で泣くななちゃん。
紅白コンビを見て唖然とする先生。騒然とする教室。
結果
みそ汁は煮立った。
その煮立ったみそ汁の味は
この思い出とセットになって忘れることはできない。
後日
腕が抜けることは関節が外れる事だと知り、
ななちゃんの家庭は幸せな家庭だと知り、
みそ汁は少々煮すぎたほうがうまいと知った。
そんな、ななちゃんとは今でも友達です。
病弱だった面影はなく三度の飯よりお金が好き!っていう
逞しい女性へ成長しました。
ちなみに
外れた間接を自分で無理やり入れて戦う。
っていうシチュエーションに憧れます。
殴られて曲がった鼻を自分でゴキゴキってやって
真っ直ぐにする。とか。
北斗の拳とかベルセルクとかでやってそう。
いや、読んだことないんですけど。
漫画好きが聞いて呆れるな‥
今日は一つ。過去の栄光について書きます。
ふと思い出した高校3年生。
私は生徒会長をしていた。
とにかく高校生活は退屈との戦い。
尾崎ばりに日常に不満を並べては、テニス部に入ってみたり(3ヶ月で挫折)
恋にうつつをぬかしてみたり(鳴かず飛ばず)
夜中こっそり抜け出しては浴びるほど酒を飲んだり(補導された)
甘酸っぱさとはほど遠い毎日を送っていた。
そんな私も学祭は好きだった。
俄然はりきった。
でも学祭を運営する生徒会のメンツは毎年目もあてられない状態だった。
男は基本ズボンの丈はくるぶしぴったりで山岳部。
フォークギターを片手に弾き語る。
女は基本このご時世見たこともないような半端な丈の白い靴下。
声優とか好きで、BL好きじゃなきゃダメだった。
極めつけは、毎年作る学祭のパンフ。
ひどいもんだった。
コミケかと思った。
私は、暇で暇で暇で死にそうな毎日の中閃いた。
会長やったら全部の事茶々入れられるんじゃないの?
そこで立候補してみた。
でも私だけやっても、周りがあれじゃダメだ。
そこで私は、友達全部に立候補させた。
周りを友達でかためてみた。
私達は、どっちかっつーといい子とは言えない分類だった。
田舎ならではのヤンキーの友達の方が多かった。
そんなことは全校生徒が知っていた。
選挙の結果、
副会長に立候補した、私の友人は史上最高数の不信任票を獲得し
見事当選した。
立候補した全ての人が受かるという謎の選挙に快勝した
私達は、任命式とやらを受けはれて生徒会役員になった。
教師達は困惑していた。
「まじでこいつらがやんの?」
任命式の時の校長の微妙な表情を私は見逃さなかった。
知ったこっちゃねぇ。
私達はマイペースに学祭に向けて邁進した。
9月にある学祭に向けて、通常5月頃から準備に入るが、
私達は6月終わりまで生徒会室の漫画を読んで過ごした。
生徒会史上最低の早さで準備は進む。
私は首をつっこめるとこには全部つっこんだ。
パンフは一人で印刷所のおっさんと打ち合わせをし作成。
ポスターは毎年美術部が描く決まりらしかったが、気にいらなかったため
県外の友人に頼みに行ってまで描かせた。
借り物競走の中身まで私が作成。(うちの学祭は体育祭も兼ねる)
自分を借り物にするなど、やりたい放題。
変な企画は全部カットした。
型破りなことばかりをしていたけど、
所詮高校の生徒会。一人で独裁体制を築くもまったく生徒には影響せず。
そんなこんなで、学祭当日までのラスト一週間は
今までのツケが回って毎日午前2時くらいに帰宅だった。
<当日>----------------------------
私の生徒会長生命を賭けた学園祭2002が幕を開けた。
会長っていうのは行事があると挨拶をさせられる。
私はいつも挨拶の文なんて考えずにステージに立つ。
んで、その場で思った適当な事を言う。
学祭は私の挨拶で始まる。
この日も何も考えずにステージに登ろうと思った時、
生徒会顧問の教師から一言声をかけられた。
「君の挨拶ってさー、全然心こもってないよね」
・・・へ?
教師達の間でもっぱら言われてたみたいです。
私はこの瞬間から学祭終了後の3日後まで、始めて挨拶について考えていました。
3日後最後の言葉をどうするか、前もって考えてみようかと思ったのです。
んで、学祭は滞りなく進みました。
本来会長は本部に居なければなりません。
しかし私は、書記を本部に残したまま、借り物で借りられてみたり、
リレーに出てみたり、ライブを見に行ってみたり、ステージに上がってみたり、
応援で参加してみたり。出れるもの全部に出ていたので、本部にいた記憶がありません。
そして体力的にも限界の最終日。
最後の挨拶。
私が三日悩んで出した結論は…
“泣こう” だった。
「天使なんかじゃない」でも翠答辞で泣いてたし!
中学の頃の生徒会長も同じ事してて、うわぁ…酔ってんなぁって
思ったけど、もうこれしかないって思った。
でも、泣こうっつーか、
泣けたら泣こう、みたいな感じで無理はしない方向で最後のステージに立った。
「皆さん、お疲れ様でした。
色々あったけど、すごい頑張ったと思います。」
(‥あ。何も思い浮かばない)
「‥準備から思い返すと、(よし!いけ)なんか…っ…グス」
ちょっと無理した感はあったけど、本当に感動したのも事実。
(どうにでもなれ的な気持ちもやや含まれていました。)
そしたら!
「かいちょー…」「会長ー!頑張って!」「かーいちょー!」って
会長コール。
サクラかと思ったくらいびびった。
私、本当感動したんです。多分忘れられない。
人望だな。なんて思って、
感動のフィナーレを迎えた学園祭。
あんだけ心配してた教師陣にも
近年稀に見る大成功なんて言われて、肩叩かれて、
本当やってよかったなぁ。って。
感動のうち幕を閉じた高校最後の学園祭。
いつも悪さばっかで、いまいち青春に乗り遅れてた私も
やっといい思い出ができたって思った。
後日、ある授業中に一枚の写真が私の机まで回ってきた。
カメラが趣味の定年間際の教師が撮った、
あの最後の舞台で挨拶をする私の姿。
一眼レフで撮られたそれは、鮮明に私の泣き顔を映し出していた。
ピントが合いすぎている。
ウミガメの産卵と同じ顔をしていた。
その写真にはきちんと油性マジックで落書きがされていた。
亀仙人のような甲羅が背負わされていた。
もちろん卵も生んでいた。
みんな同じこと考えてるんだなぁ。
ありがたく頂戴致しました。
それ落書きした人は、今では立派な一児の母に。
時の流れは疾風の如く。
←押してくれたら明日もまた頑張れそうです!
読んだ漫画のレビューを書いてます。
かと思えば、
自分と世の中の微妙なズレを
嘆いてみたり、
恋に思いを馳せたりしています。
無駄に湧き上がる言葉達よ。
記事が長いのは本当申し訳ない。
暇な仕事中とかにちょろっと
見れるようなブログ目指してます。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
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うまくできるかどうかは別ですが。
だから何でも言葉にしてしまいます。
そんな自分に時々疲れます。
私の人生は漫画に彩られ
妄想に支配されている。