たぬき研究所。
通称タヌラボへようこそ。
研究員のハラダスイです。
ここで行われていることは、主に再生成です。
では、再生成とはなんでしょう?
例えば、すごく好きで死んじゃいそう!って
くらいの漫画や歌があるとする。
まぁ、絵画だったり、写真だったり、役者でもなんでもいい。
そういう、自分に多大な影響を与えるものを
目の当たりにした時ってさ、
何とかしてその与えられたものを、
自分の中で具現化して、得意分野に反映させそうとするじゃん?
私だったら、漫画にとか。
そういう人多いと思うんですが、
ジャンルは違えど、その素晴らしいって感じた“何か”を
掴もうと必死になっちゃうじゃん?
得たものを自分の中で、何かの形にして
排出する。
これが再生成。
まぁ言う程たいしたことじゃないし、
みなさんされてることだと思うんですけど、
私はいつもこの作業の時に、現実とのギャップにがっくりくるんですよ。
えっと、私はミスチルが好きなんです。
まぁどれくらい好きかなんて書いても意味ねぇなと思うんですけど、
確実に今の私にある大きな部分(どこだかはっきりわかないけども)を
形成しているんですよ。
ないと生きていけない。そんな時期もあった気がします。
人生誰しも道に迷います。
私は22年間で一番迷走していた頃が今からおよそ10年前。
ザ★思春期で、もう孤独で本気で死ぬって思ってた時。
彼らの音楽に出会いました。
あの頃は、もう本当に何がなんだかわかんないくらい
とりあえず迷走していて、
誰といても分かり合えない気がして、孤独って漢字を
辞書で調べちゃうくらい思春期で、
ちょっぴり人間不信で、でも、本当は死ぬほど人を信じたくて
救われたくて、足掻いていました。
ドキュメントタッチでお伝えするならば、
「その時一つの小さな孤独な魂を救った」ってなもんですよ。
彼らの音楽はそんな中で一筋の光だったんです。
いや、まじで笑うかもしないけど、冗談でなく。
その時期の人格形成ってそののちの人生でかなり大切な部分を
担うんじゃないかって思うんです。
彼らははそこに著しく貢献してくれたんです。
似たような人はきっとたくさんいるでしょう。
もちろん、その救いがミスチルじゃなくて、
ほかのアーティストだったり、本だったり映画だったり、
スポーツ選手だったりする場合もあるでしょう。
私の場合がミスチルだっただけで。
それでも、今はないと生きられないというような存在ではなく、
そこまで依存しなくても頑張れるわけなんですが、
なんでかっつーと
昔からよく考えてることなんですけど、
『目か耳かどちからを失うとして、どっちを選ぶか』
という問いを自分にした時に、
ある一定の時までは目だと思ってました。
漫画読めなくても歌が聞きたい!って思ってたんです。
でも今は、耳だと答える自分がいます。
それは、やっぱり私が聞くことよりも
描くことを選んだからなんだなぁ。
歌さえ聞けたらそれでいい。っていう時代は終わって、
今はちゃんと自分の足で歩いていけてる!ってことでしょう?
自分に一番大切なものを見つけれたということでしょう?!
生きがいがミスチルだった自分から、
ちゃんと自分の中に生きがいを見つけれたわけですよ!
これは成長だよなぁ。なんつって自分に浸って
喜び勇んでライブに行くわけですよ。
と、すると、毎回めちゃめちゃ落ち込んで帰ってくる。
ここでやっと再生成の話に戻りますが、
ライブに行く
↓
歌聞いてみる
↓
再生成を試みる
↓
本物がすごすぎてできそうもない
↓
何か自分がすげー恥ずかしくなる
↓
あれ?私、ちゃんと生きてる?
頑張ってる?
↓
と、とりあえず歌聞こう!
↓
・・・・(泣く)
私のいつものパターンです。
本当は元気を分けてもらうっつーか、
何とか生きてる毎日のね、糧になるように
ライブに行くわけじゃないですか。
なのに落ち込んで帰ってくっからね!
どんだけ失礼なんだっつーの!
それもこれも、私の過剰な自意識のせいなんです。
ミスチルの歌を聴いて、触発され、
何かを再生成するには、タヌラボの実験装置はしょぼすぎるんです。
ナノサイズの生物を、小学校の理科室にある
顕微鏡で見ようとしてるみたいなもんじゃないのかって。
なのに、自分はちょっと無謀なところがあり、
うまく再生成できるんじゃないかって思う。
自分のこと過信してる節がある。
NASAにだって、チャレンジの付録についてくる
顕微鏡で乗り込んで、研究してやるぜ!みたいな。
で、いつも撃沈して帰ってくるんです。
だってさ、すごすぎるじゃない?
ミスチルって同じ人間なの?って思うもん。
大きすぎて私が再生成をできる域を超えてる。
そんなことで落ち込む私の過剰な自意識。
でね、これもまた自意識の塊のような目標なんですけど、
自分の中で決めてることがあります。
ミスチルのツアーは1年半~2年に1回くらいあります。
ツアーに行く時は前回のツアーの時より今回のツアーの時のほうが、
自分に自信が持てていrか心がけています。
要は2年間で、そんだけ自分に恥じないように
生きれるようになったか確かめに行くんです。
ライブの最中に、落ち込んでしまったら、
前回から成長してない証拠。
そう思って10年間ライブに通ってまいりました。
ずっと、ずっと落ち込みっぱなしでした。
比べるものの大きさや、自分の小ささは重々承知。
それでも、落ち込まずにはいられない。
もっと自分を好きになりたいよ。
唯一って誇れるものが欲しいよ。
タヌラボもそろそろ新しい環境で研究したいよ。
そう、ライブに行く度に思う。
そして、今回2007年のツアーで、
私は、自分のこと少し好きになってしまったかもしれないと
感じてしまったんですね。
10年目にしてやっとですよ。
相変わらず再生成できない悲しみはありますが、
昔のように歌は私の背中を押してくれる存在であることを再確認して、
ちょっとは前に進めているかもしれないと思いました。
ここ数年の私は煩悩に支配されて、
歌を聴くのに集中できてなかったかもしれない。
もっと、素直に聞くことをもう一度しなきゃならないんだな。
てなことをね、ライブが終わってからそっこー書こうと
思ったわけですが、うちのネットおかしい。
切れたりする。
まじで困る。
今日は調子いいから、私も調子乗って書いたけど、
断続的に切れたりするからホムペどころじゃないんすけど。
こんな夜は、ミスチルの『天頂バス』の歌詞が浮かびます。
『だから自分のせいと思わない とか言ってないで やってみな』
はい。肝に銘じます。
でも、ネットは私のせいではないと思います。
きっとうちらは、プライドが高いんだろうなって思う。
悲しい程ちっぽけな癖に、自分でもそれを解ってる癖に、しょぼい物を産み出す事は許さない、という自分へのプライドがある。
プライドっつーか、何だろう…自分の可能性を信じたいっていうか…
でもライブに行って落ち込むって事は、きっと何かを表現するスイに取ってはマイナスではない筈!
「凄かったなぁ」で終わると、そこで傍観者になってしまうからね(ってベートーヴェンさんが言ってた)
私も毎年西本さんの年末コンサートに行って、来年はあなたに近づけています様に、と心がけています。
恐れ多いけど、目標は高い方がいいものね。
同じ事しててウケる(笑)
私、ごちゃごちゃ考えすぎなんだよね。
わかってんだけど、そんな自分がちょっと好き。
うちらは、自分の小ささを嘆いているのに、
本当に、それわかってんのか?って
くらい、プライド高いもんね。
誰よりも自分のこと信じてる。
紙一重でバカ!かもしれない。
私達は、違うものを見ても自分に対しては同じことをしてるんだね。
うけるな~。
うちらはアレか。
こんなに誰かに認められたいとか、
信じて欲しいって思ってるのは、
自分のことすげー信じてるからなんだね。
こんなに自分のこと信じてんのに
他人は信じてくんねー!
わーん!ってこと。
すすすげー一人相撲。
♪高ければ高い壁のほうが
登った時気持ちいいもんな
って桜井さん言ってたから目標は大きくて可。
読んだ漫画のレビューを書いてます。
かと思えば、
自分と世の中の微妙なズレを
嘆いてみたり、
恋に思いを馳せたりしています。
無駄に湧き上がる言葉達よ。
記事が長いのは本当申し訳ない。
暇な仕事中とかにちょろっと
見れるようなブログ目指してます。
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うまくできるかどうかは別ですが。
だから何でも言葉にしてしまいます。
そんな自分に時々疲れます。
私の人生は漫画に彩られ
妄想に支配されている。