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この脈絡のない頭の中には漫画の事とたぬき的哲学がある。略して「たぬ哲」。
2024/11/26 (Tue)17:55
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2007/09/19 (Wed)01:57

たぬき研究所。
通称タヌラボへようこそ。

研究員のハラダスイです。

ここで行われていることは、主に再生成です。

では、再生成とはなんでしょう?

例えば、すごく好きで死んじゃいそう!って
くらいの漫画や歌があるとする。
まぁ、絵画だったり、写真だったり、役者でもなんでもいい。

そういう、自分に多大な影響を与えるものを
目の当たりにした時ってさ、
何とかしてその与えられたものを、
自分の中で具現化して、得意分野に反映させそうとするじゃん?

私だったら、漫画にとか。

そういう人多いと思うんですが、
ジャンルは違えど、その素晴らしいって感じた“何か”を
掴もうと必死になっちゃうじゃん?


得たものを自分の中で、何かの形にして
排出する。

これが再生成。

 

まぁ言う程たいしたことじゃないし、
みなさんされてることだと思うんですけど、
私はいつもこの作業の時に、現実とのギャップにがっくりくるんですよ。


えっと、私はミスチルが好きなんです。
まぁどれくらい好きかなんて書いても意味ねぇなと思うんですけど、
確実に今の私にある大きな部分(どこだかはっきりわかないけども)を
形成しているんですよ。

ないと生きていけない。そんな時期もあった気がします。
人生誰しも道に迷います。
私は22年間で一番迷走していた頃が今からおよそ10年前。
ザ★思春期で、もう孤独で本気で死ぬって思ってた時。
彼らの音楽に出会いました。

あの頃は、もう本当に何がなんだかわかんないくらい
とりあえず迷走していて、
誰といても分かり合えない気がして、孤独って漢字を
辞書で調べちゃうくらい思春期で、
ちょっぴり人間不信で、でも、本当は死ぬほど人を信じたくて
救われたくて、足掻いていました。


ドキュメントタッチでお伝えするならば、
「その時一つの小さな孤独な魂を救った」ってなもんですよ。

彼らの音楽はそんな中で一筋の光だったんです。
いや、まじで笑うかもしないけど、冗談でなく。

その時期の人格形成ってそののちの人生でかなり大切な部分を
担うんじゃないかって思うんです。
彼らははそこに著しく貢献してくれたんです。


似たような人はきっとたくさんいるでしょう。

もちろん、その救いがミスチルじゃなくて、
ほかのアーティストだったり、本だったり映画だったり、
スポーツ選手だったりする場合もあるでしょう。

私の場合がミスチルだっただけで。

 

それでも、今はないと生きられないというような存在ではなく、
そこまで依存しなくても頑張れるわけなんですが、

なんでかっつーと

昔からよく考えてることなんですけど、
『目か耳かどちからを失うとして、どっちを選ぶか』
という問いを自分にした時に、

ある一定の時までは目だと思ってました。
漫画読めなくても歌が聞きたい!って思ってたんです。

でも今は、耳だと答える自分がいます。

それは、やっぱり私が聞くことよりも
描くことを選んだからなんだなぁ。

歌さえ聞けたらそれでいい。っていう時代は終わって、
今はちゃんと自分の足で歩いていけてる!ってことでしょう?

自分に一番大切なものを見つけれたということでしょう?!

生きがいがミスチルだった自分から、
ちゃんと自分の中に生きがいを見つけれたわけですよ!

これは成長だよなぁ。なんつって自分に浸って
喜び勇んでライブに行くわけですよ。


と、すると、毎回めちゃめちゃ落ち込んで帰ってくる。


ここでやっと再生成の話に戻りますが、

ライブに行く
  ↓
歌聞いてみる
  ↓
再生成を試みる
  ↓
本物がすごすぎてできそうもない
  ↓
何か自分がすげー恥ずかしくなる
  ↓
あれ?私、ちゃんと生きてる?
頑張ってる?
  ↓
と、とりあえず歌聞こう!
  ↓
・・・・(泣く)


私のいつものパターンです。


本当は元気を分けてもらうっつーか、
何とか生きてる毎日のね、糧になるように
ライブに行くわけじゃないですか。

なのに落ち込んで帰ってくっからね!

どんだけ失礼なんだっつーの!

 

それもこれも、私の過剰な自意識のせいなんです。
ミスチルの歌を聴いて、触発され、
何かを再生成するには、タヌラボの実験装置はしょぼすぎるんです。

ナノサイズの生物を、小学校の理科室にある
顕微鏡で見ようとしてるみたいなもんじゃないのかって。

なのに、自分はちょっと無謀なところがあり、
うまく再生成できるんじゃないかって思う。
自分のこと過信してる節がある。

NASAにだって、チャレンジの付録についてくる
顕微鏡で乗り込んで、研究してやるぜ!みたいな。

で、いつも撃沈して帰ってくるんです。


だってさ、すごすぎるじゃない?
ミスチルって同じ人間なの?って思うもん。

大きすぎて私が再生成をできる域を超えてる。
そんなことで落ち込む私の過剰な自意識。


でね、これもまた自意識の塊のような目標なんですけど、
自分の中で決めてることがあります。

ミスチルのツアーは1年半~2年に1回くらいあります。

ツアーに行く時は前回のツアーの時より今回のツアーの時のほうが、
自分に自信が持てていrか心がけています。

要は2年間で、そんだけ自分に恥じないように
生きれるようになったか確かめに行くんです。

ライブの最中に、落ち込んでしまったら、
前回から成長してない証拠。

そう思って10年間ライブに通ってまいりました。


ずっと、ずっと落ち込みっぱなしでした。


比べるものの大きさや、自分の小ささは重々承知。
それでも、落ち込まずにはいられない。

もっと自分を好きになりたいよ。
唯一って誇れるものが欲しいよ。

タヌラボもそろそろ新しい環境で研究したいよ。

そう、ライブに行く度に思う。


そして、今回2007年のツアーで、
私は、自分のこと少し好きになってしまったかもしれないと
感じてしまったんですね。

10年目にしてやっとですよ。

相変わらず再生成できない悲しみはありますが、
昔のように歌は私の背中を押してくれる存在であることを再確認して、
ちょっとは前に進めているかもしれないと思いました。

ここ数年の私は煩悩に支配されて、
歌を聴くのに集中できてなかったかもしれない。

もっと、素直に聞くことをもう一度しなきゃならないんだな。


てなことをね、ライブが終わってからそっこー書こうと
思ったわけですが、うちのネットおかしい。

切れたりする。

まじで困る。

今日は調子いいから、私も調子乗って書いたけど、
断続的に切れたりするからホムペどころじゃないんすけど。


こんな夜は、ミスチルの『天頂バス』の歌詞が浮かびます。

『だから自分のせいと思わない とか言ってないで やってみな』


はい。肝に銘じます。


でも、ネットは私のせいではないと思います。



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2007/09/05 (Wed)04:04

夏が終わりますな。

うちの家の前に、最近やたら死に間際のセミが止まってるんです。
って言っても、私アパート暮らしんですよ。
だから、同じようなドアがいくつも隣に並んでるんです。

なのに、絶対セミは私の家の前で最期の時を迎えようとしている。

多分私が思うに、セミは6年とか7年とか土の中にいて、
夏の数週間しか鳴けないわけじゃないすか、
その最期の時をうちで迎えるってことは、私に何らかの神が
降りてるってことです。

TUBEよりも夏に愛されてる。

セミ曰く
「ども!今年も無事夏を終えることが出来ました!
 えぇ、無事子孫も残せましたし、あとは若いもんに任せます。じゃ!」
みたいな、挨拶を私にしてくれてるんだと思います。

まじで、いいのに。
最期の時くらい家族とか?友達とか?の側にいてやれって。
と思うんですけどね。

夏に愛された女神の宿命は変えられないくさいですな。


というわけでですね。
熱が出ました。

知恵熱?それともただの夏の疲れ?

きちがいめいて遊んだ夏のツケですな。


えー、遡ること1週間前。
私は沖縄にいました。

注)本当にここからは、自分との対話シリーズに入るので、
  まじでスルーしてもいいです。
  自分なりに納得したい衝動に任せて、キーボードを叩いてます。


mixiでは書けない私をここで書くのが当初も目的。
mixiで書いた沖縄日記はほんの序章にすぎない。

私、今年の夏2回沖縄行ってます。
理由は友達が最近住みはじめたから。

沖縄、大好きです。
海大好きです。酒大好きです。

この好きとか、すばらしいよ沖縄。みたいな感想はね、
言うまでもないし、写真も一枚も載せない不親切な感じとかね、
マジで沖縄行ったの?っていう疑わしさも含めて封印しといて。

問題は好きなのは、沖縄だけじゃなかったっつーことなんです。

ようするに沖縄で気になる人がいたんです。


今年の夏7月に一度目の沖縄に行った時、
遊んだ沖縄の人々がいました。(ナンパとかじゃないです)

私の移住した友達が現地で知り合った人みたいで、
よく遊んでるみたいでした。

よく男グループと女グループで遊ぶと、どっかが引っ付くけど、
そういうのが本当にない、まじで友達って感じらしかったです。

まぁ、みんな男ばっかだったし、知らない人ばっかで
面倒くせぇなってくらいだったんです。

なんで、沖縄まできて知らない男と気使いながら遊ばなきゃなんないの?
って感じでまったく乗り気でない私。

しかしね、沖縄の男なめてた。
私なんてまったくのよそ者でしょう?

なのに、それを本当に感じさせない。
私を楽しませようとしてくれる姿勢がはんぱない。
どんな時も気を使う私に、気を使う隙を与えさせない。
こんな体験初めてだった。

やってたことと言えば、なんてことない
ただ酒飲んだりしてただけ。

そんなん、いつもやってるよ。
なのに何でこんなに楽しかったんでしょう。


今までいろんな人と遊んだけど、
こんなに人のこと楽しませようとする優しさを見たことがなかった。
単純に人種的にとてつもなく優しいっていうのか、
本当はすっげー打算的で完璧に演じてくれたのか、
今となってはわかりません。

そんな風に考える私の性格の悪さは
夏の終わりと共に流して、
残ったのは美しい思い出と、何とも言えない物悲しさ。


私、7月の旅行が終わって、帰りの飛行機の中で、
「やべぇ。もう沖縄に住もう」と6割くらい思っていた。
それくらい楽しかったし
この時点で私、もうその人に惚れていたんだと思う。


もちろん、どうすることもない。

私にはオタクな自分を受け入れてくれる
顔は貧相、器はでっかめの彼氏がいる。

どうすることもない。

ただ、頭から離れない。

もう笑っちゃうくらい気になる。

誰にも言ってない。
こんなこと誰にも言えない。
つーかよ、そんな単純な自分が面白すぎて
誰にも言えないよ。

罪の意識とかじゃない。
羞恥心から誰にも言えなかった。

なのに、沖縄から帰って5日後に8月の沖縄行きのチケットを買いに行った。
この行動力には自分でも驚いた。

それから、第二回目の旅行となる8月23日まで
約1ヶ月は地に足がつかないような毎日でした。
もう、頭の中には

沖縄夏コミ沖縄夏コミ沖縄沖縄夏コミ沖縄

東京の夏、なんぼのもんじゃい。
そんな心境だった。

私はただ会いたかった。
沖縄の友達にはそんな自分を悟られないように振舞ったし、
まさか自分の恋心の為に2度も沖縄の地を踏むなんて
自分でもどうかしてると思った。


で、今回の旅行で自分の気持ちがはっきりわかった。
もちろんみなさんとお会いしましたよ。

この間と変わらず楽しませてくれました。
ただ一つ違うのは、
私が意識しすぎて目的の人とはほとんど話せなかった。
みたいな失態!

ワーオ!!!
22だぜ。私。
中学生日記からやり直しですよ。

そんな感じで4日間過ごした。
もう、沖縄どころじゃない。くらい私の
モチベーションはそのことばかりでした。


んで、最後に飛行機に乗る前にその人電話くれたんです。
それが本当に嬉しかった。
それほど私は乙女だったよ。

それで、もうその人とはきっと二度と会えない。
うん。だってそいつもう沖縄出るらしい。

それがわかっていたから私は、急いで沖縄に飛んだのだ。


今回の旅行には、そんなエピソードがあったんです。
本当にどうでもいい話だと思う。

でも、帰りの飛行機で人知れず泣きそうになってた事や、
どうしようもない思いを抱えたまま眠った日があったことは
一応記しといていい?

ガラにもなく女であった夏を忘れないように。

どうしようもない気持ちなんて、ここ数年抱えてこなかったから
自分の扱いに戸惑っていました。

まぁまぁ。時が経てば美しい思い出になるさ。
なんて言い聞かせようもんなら
「いらねー!移ろいゆくものが思い出になるなら、そんなんいらねー!」
って酒飲んではゲリする夏の終わり。

思い出なんていらねぇから、もっと形あるもんくれよ。


でも忘れていくんだな。
無常にも忘れていく。
それが人の営みだって、充分すぎるほど知ってんだ。

それでいいんだと思えるまでもう少しかかるだろうけども、
とりあえずは沖縄に住みますなんてことは、もう言いません。


私はもっと、自分の側にあるものを大事にしないといけないな。
なんて、浮気がバレた夫みたいな結論で今は落ち着いています。


あぁ、夏が終わった。


終わったのは夏だけじゃなかった。

 



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2007/08/01 (Wed)02:31

♪なーつがくーれば思い出す~


私、夏大好き。
まじで好き。
海も大好き。

夏の全てが好きなのだ。

私の感覚という感覚の全てがビンビンに反応して、
感受性が鋭くなる…気がする。


あの夏の匂い。
あれでイチコロ。

あの人は夏の匂いがしました。
そんなキャッチコピーが似合う人なら、
私は即惚れる。2秒後には妊娠さえする。


そんな私ですから、夏にはとても思い入れがあります。
(甘酸っぱいひと夏の恋的な思い出は残念ながらありません)
(毎年補導されてたとかそういうしょっぱいのならあります)


今日は私が夏の始まりを感じる行事について
言っていきたいと思います。
いつもながら長いです。


この時期になると思い出すことがある。(もう結構過ぎてる)
私の地元では毎年7月15日になると
「やっほー」という名の祭がある。

つか、祭と言えるのか微妙な規模で、
とりあえず10町内くらいが参加する。

私が住む港町という所は参加が義務づけられていた。
参加できるのはその町内の小学校1年生から6年生まで。

私は6年間参加した。

その祭の内容はと言うと、まず参加者は全員笹を持つ。
それを持ちながら海に向かう。

その時に「やっほー」といい続けなくてはいけない。
ようするに、歩いてる時はずっとやっほーって言ってる。

これね、結構恥ずかしい。

毎年一回しかないから、エンジンがかかるまで時間がかかる。
最初はみんな小声でやっほーって言いながら歩く。

しかも最初の一声は毎年6年生の長みたいな人。
まずその人が一人で「やっほー」って言う。
その長は笛を持っていて、

「やっほー」(6年生の長)
ピッピ(笛の音)
「やっほー」(その他全員)

「やっほー」(6年生の長)
ピッピ(笛の音)
「やっほー」(その他全員)

以下くりかえし

と延々とゴール地点の神社まで行く。


今思うと謎な祭である。
自分が6年生になった時に、長に任命されたら
どうしようと子供ながらにびびっていた記憶がある。


今年も7月15日にはその祭が行われていたと思う。
遠い東京の空の下で私は思う。
(つか、今年私の妹が長だったらしい。)

確かに、あの祭は奇妙であったし、途中ダレて
やっほーとか言ってるやつ2、3人しかいないみたいに
なってたけど、夏を告げる大切な行事だった。

今も夏の始まりを感じる風を浴びれば
やっほーの風景が浮かぶ。
これは、私の原風景というやつなのかな。と思う。

そんなノスタルジックな気持ちになる夏。

私は、いつも説明のしようのないようなじーんとくる気持ちになる時に
(例えば、それはすげー綺麗な空を見た時とか)
いつも共通して感じることがある。

それがノスタルジー。

経験したこともないのに、なぜか懐かしいと感じる。
ありもしない記憶を懐かしく感じるのはなぜでしょう。

そんなことがたくさん夏はおこります。
私は、そういう説明できないけど感じる気持ちを
形にできたらいいと思う。


そんなことをこの間コインランドリーにシーツを乾かしに行って
待っている間、ランドリーの隣にあるお好み焼き屋の店先で、
ビール飲みながら考えていました。

だって、すげーその瞬間申し訳ないくらいの夏だったもん。
並木道沿いにある店だからセミの声が聞こえて、
木の葉の影が私の足や地面にうつって、そんで風が吹いてて
昼下がりで。

私は実は寝起きで、まだ冴えない頭でボーっとビール飲んでる。
しかも休日だよ?完璧に土曜で、予定はシーツ乾かしにいくだけ。

色んな意味で涙出たね。


幸せだったね。

まじで私、自分が今女ざかりであることが信じられなかった。
まじ、こんな22歳強ぇって思った。
そんくらいビールがうまかった。


あぁ、夏が来るね。


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言葉ってすぐ表現できていいよなぁ。
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だから何でも言葉にしてしまいます。

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